日本国憲法体制をどう評価するか
2008-08-12


日曜日の午前中に、サンデープロジェクトという番組で「秋葉原無差別殺傷事件と日本社会」と題して、櫻井よしこ・姜尚中・香山リカ・東浩紀の諸氏が議論していた。他のブログでも話題とされているようであるが、愚想を少し。

やはり、私にとってとても滑稽だったのは、櫻井よしこ氏が<今の憲法が家族ではなく個人、義務や責任ではなく権利・自由ばかりを強調していることに社会の病根があり、このような事件が起こるのだ>というような趣旨の発言をしていたこと。

「この人たちは、60年間オウムのように同じことをよくも繰り返せるものだなー。何とかの一つ覚えなどというが、そこまで徹せられるのは、さすがだなー」と感服するしかない代物だった。実際、この種の発言は、<革新の時代>だった60〜70年代だって、ちょっと田舎に行けばよく保守オヤジがアルコールが入るとくだを巻いて言っていたことだ。

ただ、現在がちょっと特異なのは、朝日新聞が大株主でもあるテレビ朝日系列の番組で、元「左翼」司会者が、けしかけてそのような発言を堂々と日曜の午前中の番組でさせているという、滑稽を通り越して、日本の民度が如何ほどかを如実に示す状況に立ち至っているということである。しかも、このような、とりあえず<低レベル>というしかない発言について、姜尚中や東浩紀のような一応知性を持っている人が、正面からたしなめることだにしない(できない)という惨状なのである。

もちろん十年前なら、無教養なオヤジなどの、こういう低レベル発言は、<ハイハイ、ソウデスネー>とスルーしても全然問題ではなかった。しかし、ネットの世界をみれば分かるように、こうした発言が確実にリアルな力をもってしまうような、社会状況を勘案すれば、きちんとたしなめることくらいする必要がある。

市民的自由の裏には責任が張り付いていること、個人の尊厳に立脚した人権の普遍性があるからこそ他者の人権の尊重が必要になることは、社会科学的教養のイロハである。日本国憲法が立脚する近代社会の個人主義が前提されるからこそ、全体主義国家による拉致犯罪を許してはならず、薬害エイズや農薬入りギョウザ販売を徹底して追求しなければならず、無差別殺傷行為の責任主体を問うことになるのではないか!

憲法の改正は必要である。そのことと自由民主主義をあしざまに否定することとは全然レベルの違うことである。
憲法の自由や民主主義、人権や個人の尊厳という根本原理を、こうも低俗に貶める発言を<知識人ぽい人>してしまうという、超イデオロギー主義ultra-extremismが、未だに蔓延しているのが日本のマスメディアの実情というところなのだろう。いつまで冷戦思考の後遺症に浸って自己満足していたいのだろうか?

櫻井氏が、本当に人権思想・自由民主主義を否定し、全体主義を称揚したいなら、もう少し真正面からその原理に闘いを挑むべききなのだ。

だいたい、日本では、「ブルジョワ民主主義」に基づく日本国憲法を否定するべき左翼勢力が、なぜか「護憲派」になってしまうというおかしな事態が生じている。
左翼勢力こそ、<労働市場を自由化し、派遣社員の無権利状態をつくり出す、資本主義経済体制=日本国憲法体制こそ諸悪の根源である>と言って然るべきなのだが、櫻井氏たちはその代行をしてやっているということなのだろう。
[時評]

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