許せない暴力(バイクのメット入れに赤ちゃん!等)
2007-05-19


以下のような、ニュースが連日伝えられて、こういう所業をする連中にはらわたが煮えくりかえる思いです。そして、ひどく気分が悪くなります。
<能勢男児遺体>抱けないのでメットインに入れた 夫婦供述 5月17日11時21分配信 毎日新聞

ステーキ店「ペッパーランチ」店長ら女性客を拉致、乱暴 5月17日8時0分配信 産経新聞
 上の1歳のわが子にこういう所業をしたという供述自体が虚偽の可能性が高いようですが、このような一方的な暴力を(あまり過度の暴力とは意識せずに?)行える人間のありように、暗い闇を感じずにはいられません。

 この種の犯罪に対して、厳罰を科すことは当然です。そして、その罰は本当の意味で更正や反省を容赦なく迫るものでなくてはいけないはずです。さらに、それだけではなく、その暴力的人格を形成したものは何か、徹底した解明がなされるべきでしょう。
 こうした人々を生み出した教育の過程に<暴力>が埋め込まれていた可能性が高いと思いますが、たとえば家庭や学校のどこに問題があったのか、この連中に関わった教育関係者は自己検証を行うべきだし、社会としても真剣なメスを入れるべきではないでしょうか。

 人間の尊厳を踏みにじる暴力をけっして放置しない、許さない社会にしていくために、社会はもっと資源を配分するべきです。警察・司法・刑務所などに、もっと予算を使い、人員も配置するべきでしょう。さらに、家庭や学校や社会にある暴力の芽を抑えていくためには、今ある警察・司法、あるいはメディアだけでは不十分でしょう。イデオロギーやシェーマにとらわれた学者先生ではなく、現実に向き合い、ケーススタディをきちんと行える専門家によって、暴力を予防・抑制する方策を研究・開発し、<改革>に結実させていくことが必要だと思います。
 日本の社会は、商品やサービスの研究開発にかなりの資源を配分して、成功させてきているのだから、社会を支える<ヒューマン・リレーション>や<ヒューマン・リソース>の分野でできないはずはありません。
 具体的な努力を放棄して、それ自体暴力性を内包した、国家主義による「教育再生」というイデオロギー注入をしても、事態を悪化させることはあっても改善することなどはありません。
 安倍政権がやろとしていることは、基本的に徳目注入や精神主義ですから、現代社会では有効とは思えません。
 ただし、それが<有効>に見える人々が増えると、一面では<有効>になってしまい、さらに問題が潜在化して爆発する方向にむかうというやっかいな事態になってしまうのでしょうけれど。
[時評]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット