全体主義化を推進する輩−「国歌」を貶めることも気付かぬ哀しい存在ー
2006-06-21


君が代斉唱をめぐって教員以外にも「強制」が波及、つまり保護者にまで教育委員会や学校設置者が君が代斉唱を強制する時代になってきました。

起立せぬ親と来賓調査 君が代
式典で徹底図る

 埼玉県戸田市の伊藤良一教育長が今月十三日の市議会で、同市立小中学校の卒業式や入学式の君が代斉唱の際に起立しない来賓や保護者について「はらわたが煮えくりかえる」と答弁、調査する方針を示していたことが分かった。伊藤教育長は十九日、本紙の取材に対しても起立しなかった来賓の氏名や人数を調査する意向をあらためて表明。起立の徹底を図ることを明らかにした。


この教育長は、歌を歌うといういう行為と、個人の意思との関係をきっと一度も考えたことがないのでしょう。国歌を斉唱する行為に参加することが、個人の自発的意思が媒介されるということに思い至ったこともないのでしょう。
「はらわたが煮えくりかえる」という低劣な表現しかできないことで、この人の精神の水準を露呈していることにも気がつかないのでしょう。
こうした自己とは異なる真なる<他者>の存在も理解できない、乱暴で無教養な幼児性が大手を振るって跋扈する社会とは、昭和初期の日本、文化大革命下の中国、突撃隊の蛮行に喝采が叫ばれるドイツに通底する、全体主義の社会に他なりません。

おりからのワールドカップでは、日本のチームを応援するに際して、「日の丸」を用いたい人はそれを掲げ、「君が代」を歌いたい人は曲が流れれば唱和しています。それを、「強制」したらどういうことになるのか、少しでも考える力があれば、答えはわかるというものです。こういう連中は、いくらでも形式的な「規則」「秩序」を持ち出しますが、そうすることによって、現存する「国歌」・「国旗」を貶めているばかりか、個人の自発性に基づく共同性や連帯の可能性自体を、空疎化・形式化・無化していることに気がつかないのです。

簡単にいえば、オレ様が魂を預けた(エセ)「共同体」に刃向かう奴は許せねーと言っているだけなのです。そして、結局はオレ様と同じに振る舞えねー奴の存在は、「はらわたが煮えくりかえる」という幼児性を発揮しているだけなのです。

yamabetoyomuさんのブログ『水沫日記(みなわにっき)その2』に「最近目にしたなかで最も醜い写真」(議場で青いユニホーム着用)というのが紹介されていました。 こちらは、千葉県市原市の例だそうです。「強制」では無いけれど、その幼児性という点では通底しています。

これらの教育長や市議たちは、その地方においては、きちんとした社会人として活躍されている方たちなのでしょう。だからこそ、廉恥や謙譲といった「日本的美徳」とも無縁の、その草の根全体主義ぶりの幼稚さが「醜い」と感じてしまいます。
[時評]

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